第七章 査定人
常喪二五年九月十六日(火) 晴 引受一件八悼 残枠八〇六 残高一、〇八四、二二〇円 メイ五五五、〇〇〇円/悼
午後の引受を済ませてから、彼女は第三査定センターへ回った。
受付で開示請求の用紙をもらい、立ったまま書いた。請求の理由、という欄がある。原悲者であるため、と書いた。原悲者——その悲しみが最初に生まれた体の持ち主を、制度はそう呼ぶ。それ以上に正確な理由を、この世界の書式は用意していない。
窓口の女は用紙を受け取り、端末を叩き、それから、用意された文章を読む声になった。
「査定は匿名化のもとで行われます。個体の特定につながる項目は、原悲者の方であっても、開示の対象外です」
「等級と量は、市場で公開されています。発火暦だけ、月までで切られている。日付まで見たいんです」
「日付単位の記録は、開示の対象外です」
「娘のものなんです」
「お気持ちは」と窓口の女は言い、その先を言わなかった。お気持ちは、で終わる文章を、彼女はこの十一ヶ月でいくつも聞いた。
彼女は食い下がる代わりに、鞄から受入記録の写しを出した。秤係の座卓に並んでいた書類の一枚で、担当の欄に、小さな判が押してある。
「宇津木さんという方に、お会いできますか。受入の担当だった方です」
窓口の女は奥へ消え、長いこと戻らなかった。戻ってきたとき、後ろに、痩せた男が立っていた。
相談室は、三畳ほどの白い部屋だった。
査定一課、宇津木です、と男は名乗った。三十代の半ばに見えた。姿勢がよく、音のする方へ、首より先に耳が動く人だった。
「受入番号五五の〇二七一。昨年十一月の、労災査定を担当しました」と彼は言った。「記録の範囲で、お答えします。範囲は、狭いです」
「七十二時間、娘の悲しみは、あなたのところにあった」
「等級の判定には、一時的にこちらへ移します。七十二時間以内に、お返しするか、次の工程へ渡します。お預かりした悲嘆は——」
そこで彼は言い直した。
「……受け入れた検体は、規程どおりに扱われました」
お預かりした、と言いかけた口が、検体、と言い直すまでの半秒を、彼女は見ていた。
「タグが消えたのは、あなたのところにあった七十二時間のあいだだと聞きました」
「その件は、調べが入っています。お答えできません」
「誰が消したんですか」
「お答えできません」
彼の右手は、テーブルの上にあった。話しているあいだ、指は絶えず、何かを押さえては緩めていた。見えない糸巻きを、すこしずつ締めるような動きだった。癖なのだろう。本人は気づいていないようだった。
「最後に、ひとつだけ」と彼女は言った。「覚えていますか。娘のを」
指が、止まった。
「……査定はブラインドです。検体と、ご遺族のお名前は、結びつかない仕組みになっています」
「そう聞きました。訊いたのは、仕組みのことじゃありません」
宇津木は、白い机の一点を見ていた。それから、お答えできません、と言った。
覚えていません、ではなかった。
帰り際、ドアを開けてくれながら、彼は言った。
「開示の請求は、記録に残ります」
脅しの文にも、事務の文にも聞こえた。どちらなのかは、分からなかった。
封書が届いたのは、四日後だった。
事務用の茶封筒に、宛名だけが楷書で書いてあった。差出人はない。消印は市内。封の糊が、端から端まで、狂いなくまっすぐだった。
中身は、コピーが一枚。
原査定原簿(写)
受入番号 五五-〇二七一
類別 CL-1a
量 九六・〇悼
単一由来 九七%
相 急性
発火暦(読取)
十月二六日 強
七月 九日 強
四月 八日 中
三月 三日 弱
二月 九日 弱
(以下略)
彼女は台所の椅子に座ったまま、長いあいだ、その紙を持っていた。
十月二十六日。事故の日。
七月九日。誕生日。
四月八日。入学式——ランドセルが大きすぎて、写真の中で娘が傾いでいた日。
三月三日。雛あられを、緑だけ残す子だった。
娘の悲しみが疼く日付の一覧は、そのまま、彼女の一年の目次だった。査定人は、これを読んだのだ。番号しか知らないまま、他人の一年の目次を、狂いのない字で書き取ったのだ。
一つだけ、思い当たらない日付があった。
二月九日、弱。
手帳を何年ぶんも遡ったが、二月九日に何があったのか、出てこなかった。写真も、プリントも、何も残っていない日だった。
悲しみのほうが、彼女より多く覚えていた。
これがあれば、比べられる。三つの兄弟候補と、この目次を、日付で照らし合わせられる。羅針盤は、差出人のない封筒に入って、郵便で来た。
彼女は原簿の写しを畳んで、手帳の数字の頁に挟んだ。
ゼロえんのレシートの、隣だった。