第九章 一周忌の点呼
常喪二五年十月二六日(日) 晴 引受なし(忌) 残枠七七〇 残高一、三一二、四七〇円 メイ五七二、〇〇〇円/悼
寺での一周忌は、僧侶と彼女のふたりで済んだ。
柏木からは、花が届いた。花だけが、届いた。
夕方、部屋に戻って、彼女は机の引き出しを開けた。去年のままの、印刷屋の文例パンフが入っている。喪中はがきの、文例の一覧だった。
文例三 故人の悲嘆は然るべく納めましたので、ご休心ください
文例四 悲嘆は自家にて保持しております。ご訪問の際はご配慮願います
納めてもいない。持ってもいない。ふたつの文例のあいだの、どこにも印刷されていない余白に、彼女の喪はあった。去年、丸をつけられないまま、はがきは出さなかった。今年はもう、出す季節でもない。書式の上では、喪は今日で明けたことになっている。
パンフを引き出しに戻した。捨てなかった。捨てる書式も、なかった。
命日の昼に、彼女は取引所の中継を携帯で見た。
——本日は、第百六十三回、四十九日決済の受渡日です。
受渡日は、紙の持ち主が変わる日だ。紙が正しく現物とつながっているかを、番号の読み上げで確かめる。それを、照合と呼ぶ。
市場は決済の周期に、四十九日を選んだ。中陰の数え方を値段の暦に写した人間が、どこかにいるのだ。画面の中で、立会の女が倉荷証券のタグ番号を読み上げていく。読み上げには、抑揚がなかった。抑揚のなさが、聞いているうちに、祈りに近づいていった。
——メイ組成玉。十二口。寄託番号七七〇一。一ノ口、確認。二ノ口、確認。三ノ口——
口は、紙の単位だ。娘は十二枚の紙に分かれていて、売り買いされるのは紙だけ。重さそのもの——体のほうは、どこかの倉庫で、誰かの中にある。組成玉は、そうやって紙になった悲しみの、市場での呼び名だった。
番号は、何も覚えていない番号だった。受入の番号とも、査定の番号とも、もうつながっていない。それでも十二回、確認、と読まれるたび、画面の向こうで紙が一枚ずつ、まちがいなく存在していった。
夜、彼女は座卓に帳面を置いて、点呼を始めた。
仕事で覚えた作法だった。年にいちど、棚卸しのように、預かりものをぜんぶ呼ぶ。呼ぶたび、座りがわずかに重さを返す。出席の返事は、重さで来る。
敏江さんのぶん。右の腰の上。いる。
九月の、四十年のぶん。左の肋骨の下。いる。
三年前の春の、お母さんのぶん。肩の後ろ。いる。
おととしの冬の、ふたごの兄のぶん。膝の裏。いる。
帳面は十一年ぶんだった。頁を繰りながら、彼女は呼び続けた。日付が変わった。呼び続けた。呼ばれた重さが順に目を覚まし、確かめられ、また眠っていく。体の中を、点呼が湖の岸みたいにひとまわりしていく。
昼の画面を、途中で何度か思い出した。一ノ口、確認。二ノ口、確認。今週、娘は十二回、返事をさせられた。番号で呼べば、応える。十二回でも応える。
明け方ちかく、帳面の最後の頁まで来た。
最後の頁の次に、白い頁があった。
番号のない名を、呼んだ。
凪。
重さは、どこからも返らなかった。
もう一度、呼んだ。胸骨の裏。両腕。子を亡くした親の悲しみが座る場所を、彼女は仕事で知っている。その場所が、空いていた。一年、分かっていたことだった。分かっていることと、体で確かめることは、別の仕事だった。彼女は今夜、その仕事をした。
点呼という技術を、彼女は仕事で覚えた。いる者を数える技術だと、ずっと思っていた。違った。点呼は、いない者の名を呼んでいい時間を作る技術だった。
空白は、返事の一種だった。ここにいない、という返事だった。ここにいない、が返事であるなら——どこにいるか、も、返事のある問いのはずだった。
彼女は立ち上がって、台所へ行った。
日めくりの、のこり621日、を一枚めくった。620。もう一枚。619。
枚数は、数えなくても分かっていた。三百六十五枚。
途中から、指が仕事の速さになった。数字が減っていく。この一年で、彼女の側に立って動いた数字は、これが初めてだった。
最後の一枚をめくると、子どもの字が出た。
のこり256日。
ゼロの日に、やめる。ゼロの日に、海。
約束は、そのままの形で残っていた。彼女はそこに、ひとつ付け足した。声には出さなかった。書きもしなかった。付け足したことは、体が知っていれば足りた。
座卓に戻って、手帳を開いた。残枠の数字の下に、レシートと原簿のとなりに、新しい数字を書いた。この頁で初めての、値段ではない数字だった。
のこり、二五六日。