第十九章 独房倉庫
常喪二六年五月二五日(月) 曇 引受一件一六悼 残枠四七一 残高四一、二二〇円 メイ五五五、〇〇〇円/悼
報道が出たのは、先週の火曜だった。
悲嘆大手ヨスガに強制捜査、流出ロットの再分類に関与か——記事は短く、社名と、旗艦、という言葉だけが具体的だった。天気予報の画面は、その朝から荒れた。七一〇、六六八、六二一。三日で、メイは五五五まで落ちた。
落ちていく数字を見て、買える、とは一瞬も思えなかった。落ち方が、疑いの形をしていたからだ。出所に傷のある玉かもしれない、と市場が言い始めれば、値は下がる。下がるということは、あれが娘である見込みに、市場が保険を掛け始めたということだった。娘の値段と、娘である確からしさが、同じ一枚の札の裏表で動く。どちらが下がっても、彼女のどこかが削れた。
週明けに、売買が止まった。
全十二口、一括の買いが入ったのだ。買い手の名は、翌日の通知で知った。原悲権者への、保有者変更の法定通知だった。
新保有者 香月商会(単独保有)
仲介の男は、電話の向こうで、めずらしく長く喋った。
「香月さんはね……変わり者です。みんなが捨てたがるもの、値の崩れたもの、傷のついたものを、底で買う。そして、売らない。転売の記録が、一度もないんです。業界では、墓場、と呼ぶ人もいます。ご本人は、図書館、と言うそうですが」
墓場と、図書館。どちらの言葉も、彼女はすぐには手の中で転がせなかった。
数日して、分厚い封筒が届いた。香月商会の名入りの、保管環境のご案内、だった。
移送先は、湾岸のフリーポート。関税と手続の止まる、倉庫の街。メイは十二口がひとつに戻されて、単独の生保管に切り替えられる、とあった。専用居室。常駐保持者一名(有資格)。温湿度、静穏、面会規定——面会、という言葉が、書式の中に、当然のようにあった。
資料の三枚目が、保管室の写真だった。
白い部屋。窓のない壁。椅子と、寝台と、譜面台のように細い机。
独房、という言葉を思ってしまい、それから、保管室、と言い直した。言い直しは、いつものように、半分しか効かなかった。
写真を見た瞬間、胸骨の裏の、空いている場所が、一度だけ、疼いた。
遠くのものは、疼かない。疼くのは、体の中のものだけだ。科学はそう言うし、講習もそう教えるし、彼女自身、十一年そう教えてきた。それでも、疼いた。方向のある疼きだった。北北西、というような。距離のある疼きだった。
彼女はその疼きを、誰にも報告しなかった。報告する書式がないからでは、ない。書式のないものだけが、この二十ヶ月、一度も彼女に嘘をつかなかったからだ。
封筒の底に、名刺大のカードが一枚入っていた。印刷ではなく、手書きだった。
お預かりします。 香月
預かる、と書く人間だとは、思っていなかった。買い占める人間の言葉は、所有します、のはずだった。預かる、はこの世界で、彼女が自分の流儀にだけ使ってきた動詞だった。同じ動詞を、娘の全部を買った男が、万年筆で書いてきた。
夜、宇津木に電話をして、単独生保管の意味を確かめた。
「摩耗が、止まります」と宇津木は言った。「移転がなければ、摩れない。混載も、手垢も、もうつかない。肌理は——いま残っているぶんは、保存されます」
「それは、いい報せですか」
宇津木は、すこし黙った。
「肌理の話なら、これ以上ない報せです。所有の話なら、最悪です。売らない人が、全部を持った。安全な場所と、届かない場所は、たいてい同じ場所ですから」
娘はいま、世界でいちばん丁寧に、閉じ込められている。
値は、週の終わりに六三〇まで戻した。単独保有は市場の安心材料なのだと、経済面の隅に書いてあった。同じ頁の下に、会員制サロンの広告が一行、載っていた。本物の深みを、あなたに。試し持ち、承ります——試し持ち、という言葉が彼女の五週間の名前でもあることを、広告は知らずに刷られていた。
手帳に、彼女は新しい欄をひとつ作った。保管室、と書いて、消して、あの子の部屋、とも書かず、結局、北北西、と書いた。
のこり、四五日。