第二十章 祭祀財産

  常喪二六年六月八日(月) 晴 引受二件一〇悼 残枠四五五 残高二七、九〇〇円 メイ六四五、〇〇〇円/悼

 訴状の原告欄には、名前がふたつ並んだ。蓮見汐里。柏木亮。

 求めるものは、ふたつ。流出ロットを遺骨・位牌と同様の祭祀財産と認めること。祭祀財産として、承継者しょうけいしゃへ引き渡すこと。相手方の欄には、香月商会の名があった。

 着手金は、要らなかった。契約書の後ろのほうに、小さい字で、費用負担者の条項があった。本件訴訟の帰趨きすうにつき経済的利害を有する第三者——弁護士は、隠さなかった。

 「支援者は、この裁判で市場が動くことに、利害を持つ方々です。祭祀財産化が認められれば、子喪失類の相場は崩れる。崩れる方に、張っている方々です」

 彼女の敵の道具を、彼女は借りた。借り賃の形は、まだ見えなかった。見えないものに判を押すのは、これで何度目かだった。

 第一回の口頭弁論から、傍聴席の三分の一は、背広だった。遺族でも、記者でもない。膝の上で端末を伏せて、開廷と同時に表にする人たちだった。彼女の裁判は、初日から、相場の材料だった。

 本人尋問は、六月の二回目の期日に来た。

 先に、柏木が立った。

 相手方の代理人は、丁寧な声の男だった。丁寧な声のまま、柏木の査定書を書画カメラに載せた。

 「共同原告の発生量は、三・〇悼です。子を亡くした親の通例は、八十から百二十。……原告は、この量で、祭祀、を主張なさる。お祀りの実態を、うかがえますか」

 柏木は、証言台で、長いあいだ黙っていた。黙っている柏木を、傍聴席の端末が、静かに値踏みしていた。

 「三です」と、柏木は言った。「三悼です。八年、会いませんでした。量は、それだけです。……それでも、私のぶんです。少ないことと、要らないことは、違います」

 代理人は、それ以上その線を押さなかった。押す必要が、なかったからだ。数字は、もう法廷の全員の中にあった。

 休廷のあいだ、彼女は廊下の自販機で、あたたかい方のボタンを押した。柏木に渡すとき、言葉は要らなかった。彼は両手で受け取って、両手で持ったまま、飲まなかった。

 午後、彼女が立った。

 「原告は、毎朝、対象ロットの相場をご覧になっていた。間違いありませんか」

 「はい」

 「財産の値動きを確認していた、ということですね」

 「娘の様子を、見ていました」

 「様子、というのは、価格のことですか」

 「この世界が娘に残した窓が、それしかありませんでした」

 代理人は書面をめくった。めくる音まで、丁寧だった。

 「では、うかがいます。原告にとって、娘さんの悲しみは、財産ですか。お祀りするものですか」

 どちらと答えても、罠のある問いだった。財産と言えば、取引は適法になる。祭祀と言えば、では買い戻しの資金集めは何なのか、と返ってくる。彼女は、罠ごと答えることにした。

 「お祀りする方法を、教えてください」

 「……質問しているのは、こちらです」

 「この国の、どの書式で祀れるのか、教えてください。位牌の書式はある。墓地の契約書もある。悲しみを祀る書式は、どこにもありません。あるなら、私は最初から、それを使っています。ないから、あなたがたの書式で、ここに立っています。財産、という言葉しか通じない場所で、財産の言葉を話しています。それを財産扱いと呼ぶなら——呼び方も、そちらの書式です」

 傍聴席の端末が、いくつか、同時に動いた。

 ——肋骨の奥で、潮が満ちてくる。五つで川に落ちた男の子の、命日が来ている。八年前に引き受けた、母親のぶんの悲しみが、証言台の上で、目を覚ましている。

 「原告は、対象を取り戻したのち、どうなさるおつもりですか」

 質問は続いている。彼女は答えている。声は、揺れていない。体の中でだけ、知らない子の命日が満ちて、ゆっくり、引いていく。

 「——持って、暮らします」と彼女は言った。

 証言台の上の彼女の体は、そのあいだ、別の子を悼んでいた。娘の祭祀を問われながら、よその母の悲しみの命日を、胸の内で勤めていた。それを偽証と呼ぶ法律は、まだない。呼ぶ法律ができたら、この世界の引受人は全員、法廷に立てなくなる。

 閉廷後、弁護士は満足そうだった。

 「いい証言でした。指数が、動きました」

 誰にとって、いい、なのか。訊かなかった。廊下の突き当たりで、柏木が待っていた。缶は、まだ両手の中にあった。冷めても持っている、ということだけが、あの三悼の、法廷に出せない補足資料だった。

 裁判は、続く。相場も、続く。続かないのは、彼女の枠と、台所のカレンダーだけだった。

 のこり、三一日。