第二十七章 証言

  常喪二六年六月二六日(金) 雨 引受なし(認可停止) 残高五九、二一〇円 メイ六七〇、〇〇〇円/悼

 宇津木が証言台に立ったのは、判決の三日前だった。

 証人尋問の最後の枠で、傍聴席の背広の数は、いつもより多かった。宇津木は査定人の制服ではなく、灰色の背広で来た。宣誓の声は、査定書を読み上げるときと同じ高さだった。

 「規定の保持時間は、一検体につき四時間です」と宇津木は言った。「私は、十三時間、保持しました。九時間の超過です。超過のあいだ、検体の中の——」

 そこで、宇津木は初めて、書式の外の言葉を探した。

 「——子どものピアノを、聴いていました。同じ小節でつっかえる。つっかえて、止まって、すこし戻って、また同じ場所でつっかえる。査定に必要な情報では、ありません。必要でないものを、九時間、聴いていました」

 その九時間のあいだに、端末の処理待ちの列へ、再分類の書類が滑り込んだ。等級の書き換え。タグの付け替え。彼の遅滞がなければ、通らなかった書類だった。

 「気づいていましたか」と検察官が訊いた。

 「気づいていました」

 「なぜ、報告しなかったのですか」

 「報告すれば、超過が発覚するからです」と宇津木は言った。声は、揺れなかった。揺れない声で、いちばん小さい罪を、正確な升で量って出した。「大きい不正を黙認した理由が、私の、小さい違反の保身でした。それだけです。ほかに、事情はありません」

 弁護側は、彼の記憶の信用性を突いた。九時間の記憶に、証拠能力があるのか。記録は、あるのか。

 「記録は、私です」と宇津木は言った。「査定人の体は、通った悲しみの端数を、剥離として残します。ご入用でしたら、いつでも。……検分に堪える状態で、保管してあります」

 証拠室は、人間なんです——いつかの三枝の言葉が、証言台の上で、証言の形になった。

 桐山遼子の立件は、翌日の朝刊に載った。再分類の指示系統。子会社の身内落札。買収対価への組み込み。記事の中の桐山は、容疑を否認も肯定もせず、コメントは一行だった。治療の順番を、経営の順番と取り違えたことは、一度もありません。

 判決の日は、雨だった。

 主文は、短かった。原告らの請求を、いずれも棄却する。

 傍聴席で、端末がいくつか、同時に動いた。それだけだった。法廷は、静かなままだった。裁判長は主文のあと、理由の要旨を読み上げた。長い要旨だった。長さだけが、この判決の迷いの跡だった。

  悲嘆の流出過程における一連の手続には、重大な違法があったと認められる。

  しかしながら、悲嘆を祭祀財産と認めることは、現行法の予定しないところである。

  仮に祭祀財産性を認め得るとしても、本件各ロットについて、

  流出に係る悲嘆と同一の由来を有する個体であると特定するに足りる立証はない。

  匿名化措置および再組成の反復により、同一性の追跡は不可能となっており、

  この追跡不能の状態自体が違法な手続に由来するとしても、

  競売による善意取得の効果を覆すものではない。

  原告らの救済は、損害賠償によるほかない。

 違法だった、と法は認めた。認めた上で、返せない、と言った。理由は、盗まれた過程が巧妙すぎて、盗まれたものがどれか、法には指させないから。指させなくした行為の違法は認める。認めるが、指させない以上、渡せない。それに、いまの持ち主は、盗品と知らずに競り落とした者だ。知らずに買った者の手の中で、持ち物の名義は洗われて、綺麗になる。善意取得という四文字の中身を、彼女はこの二年で、そう覚えさせられていた。渡せないから、金に換えて払え。

 メイが凪であることを、この国の法は、最後まで確定できなかった。彼女が二十ヶ月、体で確かめようとしてきたことを、法は二年かけて、確かめられません、と書式で言った。

 法は、娘を、円でしか返せない。

 閉廷後の控室に、相手方——ではなく、ヨスガの代理人が来た。訴訟の当事者ですらない会社が、いちばん早く動いた。

 和解の提案書だった。賠償請求権の包括的な買い取り。金額の欄の数字は、彼女の残高の千倍あった。

 「率直に申し上げます」と代理人は言った。感じのいい、若い男だった。「上級審まで争えば、年単位です。そのあいだ、蓮見さんの時間は戻りません。希望に値がつくうちに売るのも、供養のうちです」

 供養、という言葉の使い方を、彼女は久しぶりに、まじまじと聞いた。

 金額の書かれた紙を、彼女は長く持った。検量するように、長く。持ちながら、数字を悼の相場で割っている自分に気づいた。割り算は、二十ヶ月で、呼吸と同じ速さになっていた。この額なら、メイが買える。分割されたあとの十二口でも、買える。買って、十二個の残響を、両腕に抱えて帰れる。

 呼んでも、こだまが十二、返るだけの。

 「要りません」と彼女は言った。紙を、卓に戻した。「希望は、売り物にしたことがないんです。うちは、最初から」

 かなしみ、ひきうけ、いっかい、ゼロえん。手帳の頁の中で、七つの娘の字が、そう言っていた。

 廊下で、柏木が待っていた。判決を、彼は最後列で聞いていた。

 「負けたんだな」と柏木は言った。

 「負けました」と彼女は言った。「合法の道は、これで全部です。全部、行き止まりでした」

 柏木は、うつむいた。それから、顔を上げた。

 「……二十八日、俺も行く」

 「来ないでください」と彼女は言った。理由は言わなかった。言える形になっていなかった。あの部屋に、権利を持つ父親が立てば、立会は、親ふたりの取り分の話に化ける。市場と、債権者団と、中継の画面が、そういう物語に編集する。彼女があの部屋でするつもりのことは——まだ形になっていないが——取り分の話の、正反対の何かだった。

 柏木は、長いあいだ黙って、それから、分かった、と言った。分かった、と言える男になっていた。八年ぶんの薄さを恥じてきた男の、二年目の変わり方だった。

 のこり、一三日。